⑥ 2005年2月、家人の入院雑記 ・余談 

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・余談


 入院中、休憩室の喫煙コーナーで家人と煙草友達の人と三人で話したときに、煙草友達がこんなことを言った。 「廊下歩いてるとね、この人(家人)の部屋からワーッと笑い声がするの。いつも、あの部屋だけすっごい賑やかなの。 俺んとこなんか静かよ。みんな寝たきりだもん」。 家人のいた部屋は「当たり」だったらしい。お喋り好きな人が揃ったところへおかしな関西人である家人が加わり、そんなことになったらしい。

 同室の人達とは病状・病歴・家族構成・出身・郷里での話…… かなり踏み込んだプロフィールまで公開し合ったためか、たった一週間で、とくべつな絆ができてしまった模様。

 家人の部屋の人達は見た目よりずっと(実年齢が)高齢だった。五十代のように見えた人は六十代、六十代だと思っていた人は七十代。集団就職で東京に来て、この近辺で四十年暮らしているとか、昔この辺は何々で、あの道路は昔こうこうで……といった話をおもしろく聞いたらしい。 とりわけ興味深かったのは戦争(第二次世界大戦)の話だという。東北出身のある方は、子供時分に戦争を体験。 ※以下は、家人から聞いたまま書き留めたもの。


・じぶんの村に、ときどき米兵が来ては、食べ物や家にある物を奪っていった。

・米兵が来るときは大人も子供も床下や外のほら穴に隠れて震えていた。 「そりゃあ、銃(先端に刃のついた銃)を持った大っきな兵隊だもの、ほんとに怖かった」

・米軍による爆撃もあった。軍需工場の辺りがやられた。

・戦争が終わると、米兵達はチョコレートやガムを子供たちに配った。 「……美味しかったなぁ、あれは」

 

 


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・3.3  (別世界)


 家人は今朝から胃がキンキンに張って、何か変だという。食べたものがひとつも消化されていない感じ。「まさか、腸閉塞かなぁ」と顔を曇らせる。 午後、家人は病院(入院していた所)へ行って受診。薬をもらって帰宅。薬を飲みながらしばらく様子見、とのこと。


 入院していた病院へ行くと、家人は必ず自分のいた部屋にも寄って、そこで(ときには数時間)お喋りをしてくる。 自分が入院してるときは、退院していった人が訪ねてくると『この人こんなに元気な人だったの?!』って驚いちゃうのよ、と家人に先日話したのだけど。「今日○○さんもそう言ってた」という。『すっかり元気になって……まるで別人みたいだなぁ』と言われたらしい。

 そうなのだ。自分が入院していると、外部の人(お見舞い人)や、退院日の近づいた患者さん・退院していった人がパーッと輝いて見えて、それはもう眩しいくらい。病院のパジャマを着て青白い顔で横たわっていた人が、退院して外の空気を吸い、綺麗な色の洋服をまとって薄化粧(しなくても、顔色が明らかに違う)で現れると、なにか魔法を見たような気がして本当にびっくりする。(声の張り、目の輝き、何から何まで一変する)

 

 


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・3.4


 家人の様子。朝起きてから夜、布団につくまで、胃を押さえては首をひねり「まだ張ってる」と繰り返し、朝・昼・夜・ねる前、と几帳面に薬を飲む。 かなり神経質になっている。頭の中は九割がた「めまい」「まだ張ってる」で占められている模様。 無理もない。体調のわるいときは誰でもそうなると思う。どうしても自分の体のことで頭がいっぱいになってしまうのだ。

 飲み薬は6~8種類。うち一つは粉薬。食事のあとは食卓いっぱいに薬をひろげて、一粒ずつプチプチと手のひらに出し、「うわっ!苦い!」と大騒ぎしながら飲む。食後の薬飲みが、なにか一つの行事(儀式)のようになっている。「こんなに種類あると大変でしょ。一回分ずつピルケースにまとめておくと楽よ」と提案するのだけど、「いや、いい」と言う。