2005年2月、家人の入院雑記 ③ 

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・2.21


 家人から「水曜(23日)に退院できそう」とのメール。

 一昨日の晩にブレーカーが落ちてからネットへ繋がらなくなり、翌日20日に友人に診てもらうことになった。


 きのうの夕方。家人を見舞った帰りのバス停で、目の前の本屋さんにふらふらと吸い込まれ、読みたいと思っていた雑誌を発見。頬がゆるむ。それを買ってふたたびバス停へ。まだかなぁ、バス来ないなぁと振り向いたら、列の後ろに見覚えのある顔……。ととっと歩いていって確認。件の(今日うちに来る予定の)友人だった。わたしが前に立つと、友人はうれしそうに八重歯をのぞかせて、

「やっぱり! なんか似てる人がいるなぁ~と思ったら」
「本人だもん」
「あぁ助かった!」
「ん??」
「違うバスに乗ってしまったらしくて」
「あら」
「慌ててココで降りたんですけど、○○さん家は久しぶりだから、何行きのバスか、どこで降りるのか忘れちゃって……どうしようと思って。あぁ良かった♪」
「良かったねぇ♪ ってあなた、そんな格好で寒くないの」
「全然。ぼく暑がりなんです」

 それから二人でバスに乗ったのだけど、降りるときにもちょっとあった。

「次で降りるんじゃないですか?」
「そぉ?」
「うん、たしか次の○○って所だった」
「○○……」

 実はわたしも、自宅最寄りのバス停の名を知らないのだった。するうちにバスは「次」を素通りして、終点までいってしまった。 家までの道を歩きながら、友人は「卒論が終わってホッとした」と笑ったあと、「あとひと月もしたら関東を離れるけど……」。郷里のほうで就職するという。わたしは一瞬ことばを失い、おもわず友人の横顔を見上げた。ようやく出た言葉が「どうして行っちゃうの?! そんな……ヤダぁ!」。おしまいの方は泣き声に近く。 言ったあと自分でもちょっと可笑しくなり苦笑い。ヤダぁって……子供じゃないんだから。 でも。あぁ。

 

 

 

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・2.22


 昨日は家人の部屋を片付けてシーツ類を洗濯、おにぎりをつくり(病院の食事はあるけど、一応)、それから病院へ行くための支度。身支度を整えて鏡を見ると、目の下にくま。これはいけない。病人のまえで疲れた顔なんて……。コンシーラー(くま・くすみを隠す化粧品)をつけて、ついでにうっすらと頬紅も。鏡の中でニコッと笑ってみせ、支度完了。 家人を見舞った帰り、バスに乗らず歩いていたら洋菓子店を発見。よし、ここにしよう。(退院時の挨拶で配るもの)


 きょうはお見舞いに行かない。家人の入院以来はじめてのオフ(わたしの休日)。昨日までは家人も弱っていたし、事務手続きや持っていく物・ちょっとした世話などもあってどうしても行かなければならなかった。 今日は用事がない。顔を見るだけという理由で行こうかなとも思ったけれど、思いとどまる。もう少し家人の部屋を綺麗にしておきたいし、それに、家人も一日くらいはひとりで(今回のことについて)考えるのもいい。 ちなみに、わたしは病院が苦手なので、行く前はいつも音楽で元気をつけてから出掛けていた。そうしないと、とても病院なんてところには行けない。

 オフということで久しぶりにお気に入りの音楽を聴いているのだけど、「同室の人達は糖尿らしいからお菓子はNGかしら」「幾ら持っていこう」「明日は何作ろう(家人のご飯)」「後日の検査、もっと小さい病院の方が」などと考えてしまい、気付くと曲が終わっている。もういちど初めから聴き直す。考えてしまう。何遍やりなおしても、考えてしまう。 大好きな、大切な音楽なのにきちんと聴けない。なんだかこの音楽を汚してしまった気がして、(このアーティストに対する)申し訳なさで胸がキュウッと痛む。


 でも。今回の家人は、早い段階で病名(原因)と退院できることとが分かって、それが幸いだった。 「何の病気か分からない」「見通しがつかない」というのは、本人にとっても家族にとってもいちばん辛い気がする。「いま(身体が)どうなっているのか」「いつまで続くのか」が分かれば、それが指針となって頑張れるような気がする。